こどものための災害対策

(詳細版)

Ⅲ 実際の被災体験・支援体験

22. 避難所になった学校では

宮下孝茂

1 はじめに

 令和元年10月12日から13日未明にかけて、台風19号による千曲川決壊などで長野市豊野町では多くの浸水被害が発生しました。

 豊野西小学校は、全校児童341名の約4分の1の家庭が浸水等で被災しましたが、幸いなことに子どもとその家族は全員無事でした。

 12日夕方から体育館や特別教室などが避難所となり、約400名の方々が避難しました。避難所には災害発生から3日目以降も200名を超える避難者が避難を余儀なくされ、12月3日まで、体育館と校庭、特別教室の一部が指定避難所となりました。

 学校は災害発生から臨時休校となり、10月28日の学校再開後も12月4日の避難所閉鎖まで、学校は避難者と共生することになりました。

 これからお話しすることは、その当時の学校や子どもたちの様子に応じて、本校職員が考え、やってきたことです。お読みになった皆さんが、災害への備えや災害が発生した時にどうしたらよいかを考えるきっかけにしていただけたらありがたいと思います。

2 災害発生と避難所開設、臨時休校

(1) 安否の確認

 幸いなことに、学校自体に被害はなく、電気も水道も通常通り使うことができました。まず、夜が明けてすぐに、保護者へ安否確認のメールを配信しました。

 このメールは学校から保護者への連絡用のため、保護者からの返信機能はありません。そこで、開封確認付きのメールを配信し、とりあえずメールを開いてもらうことで、安否の確認をしました。

 次の日からは、電話でそれぞれの家庭に、今どこにいるか、どんな様子かなどを聴き取りました。ところが、電波の状態が悪く通話途中にとぎれてしまい、なかなか様子がつかめません。また、電話の向こうで被災した状況やこれからの不安を泣きながら話す保護者の声に、担任たちはどう声をかけてよいか悩んでしまうこともしばしば。担任たちは大変な思いをしながら、なんとかすべての子どもの状況をつかみました。

(2) 情報の提供

 テレビでは豊野町を含め、各地の災害の様子が放送されていましたが、自分たちの身の回りがどんな状況になっているのか、よくわかりません。情報がないと不安になります。先が見えない不安や心配が少しでも軽くなるようにと、保護者へは学校の状況や今後の見通しなどの情報を、メールで随時発信しました。

【保護者に配信したメール】
10月15日「明日以降の予定について」
豊野西小学校 保護者の皆様
 
 まず、被害に遭われた皆様には、心からお見舞い申し上げます。
本日、職員により通学路の状況を確認にまわりました。
その様子から、
 ①18号線不通の影響等のためか、交通量がとても多いこと、
 ②泥や災害ゴミの影響で歩ける状況にないこと、
 ③マンホールから水が出ているところもあり、感染症も心配であること等
が確認できました。
 この様な状況から登校は不可能であると判断し、20日(日)まで休校とさせていただきます。先の見通しが持てないので、21日以降につきましては、決まり次第メールを配信させていただきます。
 大変な状況が続いておりますが、くれぐれも健康に留意されてお過ごし下さい。

(3) 学区内の安全点検

 災害発生から3日目の10月15日、学校再開に向けて、子どもたちが安全に登校し下校できるか、職員総出で学区内の安全点検を行いました。

 職員が見た学区内の様子は

  • 町のあちこちに流れ込んだ土砂や、災害ゴミなどが積み上げられていて、歩ける状況ではない
  • 緊急車や救助車のほか、国道が通行できないため、町内に入り込む車が非常に多い
  • 下水道終末処理場が冠水したためマンホールからあふれた汚水や、流入した大量の土砂などにより衛生状態が悪い

など、子どもたちが安全に登下校するには程遠い状況でした。
また、点検中に出会った保護者や子どもたちからも、

  • マンホールから汚水があふれ、その臭いがひどい
  • 流れ込んだ土砂が乾いて舞い上がり、車の量も多いため、土ぼこりがひどい
  • 救助作業のヘリコプターや救急車のサイレンの音が鳴り響いて不安
  • 子どもを外に出す、子どもだけで歩かせるのは大変心配

といった不安や心配の声が多く寄せられました。

 私たちが確認したことや保護者の声は、県や市の関係部局へ伝え、状況の確認や改善を要望するとともに、長野市教育委員会(以下、市教委)と協議し、安全が確認できるまで学校再開を待つこととしました。

(4) 子どもたちに励ましのメール

 災害発生直後に避難所に避難してきた子どもたちは、「家の中に水が入ってきてこわかった」「カバン(ランドセル)が(浸水で)天井のところまで上がっていって、そのあと流れていっちゃった」「教科書やノートがびしょびしょ」「(音楽会で使う)鍵盤ハーモニカがどこかにいっちゃった」「階段のところまで水が入ってきたから、あわてて2階ににげた。とってもこわかった」などと、自分たちが被った災害の様子を話してくれました。

 また、安否確認や安全点検の際に出会った保護者や子どもたちからは「先生や友だちと会いたい」「みんなと遊びたい」「思い切り体を動かして遊びたい」といった声が多く聞かれました。そこで、職員で話し合い、子どもたちを元気づけようと、学年ごとに子どもたち向けにメールを配信しました。

【学年ごとに配信したメール】
1年生のみなさんへ

たいふうで とよのまちも たいへんなことに なっていますが、
1年生のみなさん、げんきですか。
でんきが とまったり、ガスが とまったり、
おうちが たいへんだったりして、みんな たいへんだとおもいます。

がっこうでは、みんなが がっこうに こられるように いっしょうけんめい がんばっています。
なにか こまったことがあったら、おうちの人や せんせいたちに そうだんしてね。
あえる日が はやく くるように、みんなでがんばりましょう。
せんせいたちも、みんなにあえるのを、たのしみにしています。

1年 1くみ     2くみ     ひまわり

3 学校再開に向けて

(1) 自由登校

 被災して5日目の10月17日から、子どもたちのために教室を開放して、遊んだり、体 を動かしたりできるようにしようと、午前のみの自由登校を行いました。ただし、登下校の安全や衛生面への配慮のため、保護者が送迎できる子どもと、学校の避難所に避難している子どもを対象としました。

 自由登校では、教室や図書館などで先生や友だちと話したり、本を読んだり、中庭で体を動かしたりして過ごしました。また、県の教育委員会からスクールカウンセラーを派遣していただき、子どもの様子を見ていただいたり、相談したりする機会を設けました。

 自由登校は合わせて5回行い、回を重ねるごとに登校する子どもたちが増えました。保護者が迎えに来る時間がお昼と重なるため、何かおなかに入れてから帰したいと市教委に相談したところ、4回目からは、長野県学校給食会からパンと牛乳の軽食を提供していただきました。子どもたちは、久しぶりに友だちと楽しく話をしながら、パンを食べて帰宅することになりました。

 子どもたちが帰った後は、職員間で子どもたちの様子を出し合い、気になる子どもへの対応を話し合ったり、親せき宅などに市外に避難している子どもや、保護者の送迎が難しいため自由登校に参加できない子どもなど、担任はそれぞれに連絡を取ったりました。

 また、家や避難所に帰ってからの子どもたちがどう過ごしているのかも心配です。放課後の子どもたちを預かる学童保育も避難所となっていたため、子どもだけで過ごさなければならない留守家庭も数多くありました。そのため、下校後の子どもの居場所、保護者との連絡方法など、細かなところまで打ち合わせました。

(2) 感染症対策

 学校再開に向けて大きな問題だったのが町内の衛生状態。大量の災害ゴミや流入した土砂などによる土ぼこりや、マンホールからあふれた汚水による感染症などが心配でした。

 そこで、保健所や避難所の医療支援チームの保健師や看護師の方々と相談して、子どもたちに感染症についての保健指導を行うことにしました。

 まず、自由登校の時に、子どもたちにマスクを着用してもらうよう、保護者にお願いしました。そして、自由登校で学校にきた子どもたちに、保健師や看護師の皆さんから手指の消毒や感染症の予防についての保健指導をしていただきました。この保健指導は、自由登校の期間中と学校再開の日に繰り返し行いました。

 この保健指導で、子どもたちがマスクの着用や手指の消毒などを習慣として当たり前にやるようになれば、保護者も感染症対策や衛生に対して関心を持ってやってくれることも期待していました。そのほかにも、校舎内に泥などを持ち込まないよう、昇降口の外に下足置き場を設けたり、校舎に入るとすぐに手指の消毒をしたりするようにしました。

(災害の翌年、新型コロナウイルス感染症対策として、マスクを着用や手指の消毒が呼びかけられましたが、本校の子どもたちは特に抵抗もなく、当たり前のようにやっていました)

(3) 学校再開(10月28日)

 当日は市外に避難したり体調を崩したりするなどで11名の子どもが欠席しましたが、学校には久しぶりに子どもたちの明るい声が響きました。  この日は、それぞれの学級で過ごしたり、低学年と高学年にわかれて集会を行なったり、看護師さんによる保健指導をしていただいたりしました。久しぶりの給食を食べ、友だちと遊んだり、おしゃべりを楽しんだりした子どもたちは、職員が引率しながら集団で下校しました。(集団下校はこの後2週間続けました)

4 避難所・避難者との共生

(1)「豊野西小学校」という避難所

 被災直後、被災した地区の小中学校の校長に向けて、長野市の教育長からこのような指示がありました。

  • 避難者を優先しつつ、学校再開を考える
  • 大事な教育の場とする
  • 避難者との共生

 学校は子どもたちの学びの場であり、学びを保障することが最上位の目標となります。しかし、災害で避難せざるを得なくなった方々にとって、豊野西小学校の避難所は大事な生活の場所となります。避難されている方の生活を優先し、共生しながら、学校としての教育を行っていくことが、豊野西小学校の使命です。

(2) 互いに理解し合って動くために

 私たち職員は、避難所にほぼ毎日顔を出し、避難している子どもや保護者、地域の方々に声をかけたり、話を聞いたりしました。顔を合わせたり、あいさつを交わしたりするくらいでも、何かあったときに遠慮なく言ってもらえるように、つながっておくことはとても大事なことでした。

 避難所の運営は長野市であり、学校は直接関わることはありませんが、学校が避難所や避難者と共生するためには、避難所と学校、避難者支援に携わる方々、保護者や地域など、避難者に関わる人々が互いに理解し合ってやっていくことは欠かせません。

 そこで、避難所と学校と避難所にかかわる支援者が、互いの情報や要望などを共有するための関係者会議を行いました。これは避難所開設から4日目の10月16日から12月の避難所閉鎖まで、ほぼ毎日校長室で行いました。

 関係者会議では、

「昨日体育館に全避難者分の段ボールベッドを入れ、整理が完了」
「避難者の授乳スペースをどこに設けたらよいか」
「○日に洗濯機と乾燥機を体育館の校庭側犬走りに設置する予定」
「精神的に不安定な避難者がいるため、夜間その方は家庭科室で休む」
「○○支援チームは○日で交替」
「学校では17日と18日に自由登校を10:00~12:00に実施する。保護者の送り迎えの車が校門入口付近に集中する事が予想されるため協力をお願いしたい」

など、それぞれの現状や課題、要望、今後の見通しなどを話し合いました。こうした情報共有の場を定期的に持つことで、学校や避難所、支援者が互いに何をやっているかを把握したり、調整したりすることができたため、大きなトラブルもなくやっていくことができたのではないかと思います。

(3) 避難所になっている学校だから学べること

 避難所になっている学校だから学べたこともたくさんありました。

 避難所には、神奈川や広島、愛知、滋賀、和歌山、群馬、鳥取など全国から多くの方が支援にかけつけてくださいました。これらの方々は避難所での支援のほかに、子どもを送迎する保護者の車の交通整理もしてくださいました。子どもたちは、支援者のユニフォームの「広島」「和歌山」といった派遣元の地名や、避難所で避難者の支援にあたっている姿を目にするなかで、日本のあちこちからこんなにたくさんの方々が集まっていることに驚いていました。

 また、避難所に避難している方の多くは、朝仕事や自宅の片付けに出かけ、夕方になると避難所に戻って来られました。子どもたちは、朝すれ違う際に「おはようございます」とあいさつを交わしたり、避難所で生活している方々やその方たちを支援してくださっている人々の姿を子どもたちは毎日目にしたりするなかで、特に6年生など、誰かの役に立つために自分ができることは何かを自然に考える行動するようになりました。

5 子ども・保護者を支えるために

(1) 子どもとかかわるときに心がけたこと

 災害が発生して5日目の17日から自由登校を始めましたが、子どもたちを学校に迎えるにあたって、私たち職員が最も不安だったことが、どのように子どもとかかわったらよいかということでした。

 台風による大雨や川の氾濫による浸水などの災害を目の当たりにした子どもがどんな様子なのか、予測がつきません。そこで、学校に派遣されたスクールカウンセラーの助言をもとに、次のことを職員で統一して子どもとかかわることにしました。

  • 子どもといっしょにいる、いっしょに遊ぶ
  • 子ども一人ひとりをよく見て、いつもと違う様子に気をつけ、必要に応じてスクールカウンセラーにつなぐ
  • 子どもが話し出したらよく聴き、受け止める。職員から聞き出さない。特に「うちは大丈夫だったよ」「床の上まで水が入ってきた」という内容のときは、周りの子どもに配慮して「先生にだけお話ししてね」と、その子どもと一対一でゆっくり話を聴くようにする

 実際に登校してきた子どもたちの中に、担任から離れない、落ち着かない、妙にはしゃぐ、急にしゃべらなくなったなど、いつもと異なる様子が見られました。子どもたちが帰宅した後、その情報を職員間で共有し、対応や支援の方向を確認し合いましたが、普段と異なる様子の子どもたちの姿に、災害の与えた影響の大きさを改めて思い知ることになりました。

 学校再開の日の校長講話は、スクールカウンセラーの助言を得て、子どもたちに次のような話をしました。

(前略) 
 皆さんの中には、この台風でこわい思いをしたり、家や建物がこわれたり、大切にしているものがなくなってしまったりして、どうしてよいかわからない気持ちになっている人もいると思います。また、不安に感じたり心配したりしている人もいると思います。
 イライラすることがありませんか
 ごはんとかあまり食べたくないことはありませんか
 よく眠れないことがありませんか
 こわい夢をみることはありませんか
 頭やおなかが痛かったり、体がだるかったりすることはありませんか
 心配しないでくださいね。それはとてもふつうのことです。少しずつよくなっていきますよ。
 悲しい気持ちや、不安な気持ちも、こわい気持ちも、みんなあなたの大切な気持ちです。がまんしなくていいんだよ。学校の先生やスクールカウンセラーの先生に話してみてください。でも、話したくないときは、無理に話す必要はありませんよ。(後略)

 災害や事故などに遭えば、不安になったりつらい気持ちになったりするのが当たり前。その気持ちを我慢したり、無理に押し込めたりするのではなく、ごく自然のこととして受け止め、少しずつ回復していく力が自分の中にあることを信じてほしい、そのために先生たちはあなたに寄り添っていくよ、という思いを込めて子どもたちに伝えました。

(2) スクールカウンセラーによる観察・相談

 県教委や市教委には、自由登校日と、学校を再開してもしばらくの間、スクールカウンセラーを特別に加配していただき、子どもだけでなく保護者もスクールカウンセラーと相談ができるようにしていただきました。

 スクールカウンセラーには、子どもたちのいる教室に入って子どもたちの様子の観察や、担任から見て様子が気になる子どもについての相談や、直接その子どもとのカウンセリングをしていただきました。実際にスクールカウンセラーに子どもの相談を依頼するようになったのは、災害の発生直後より学校が再開して1~2か月ぐらいしてからでした。

【スクールカウンセラーへ相談をつなげた例】

〇「自分の家は無事だったけれど、つらい」とこぼす6年女子(11月中旬)

 明るく活発な子どもでしたが、学校が再開してから元気がなくなり、担任が心配して声をかけたところ、仲良しの友だちの家が浸水してしまったことに「つらい」と涙をこぼしました。担任がひとしきり話を聴いた後、スクールカウンセラーにも相談することを提案しました。その後2回ほど相談し、しだいに気持ちが落ち着いてきました。

○自宅が床上浸水となり学区外のアパートから通学する5年女(12月から定期的に面談)

 学区外のアパートで暮らしているが、そのアパートが狭いので、自分の部屋もない。テレビも1台しかない。物が多く置いてあるので、自分の空間がない。好きなことができない。習字教室も通えない…などの不満やこれからの不安などを、スクールカウンセラーが受け止め、担任と共有しました。スクールカウンセラーとの面談は3月まで毎月行い、この子どもの心の安定を図っていきました。

【その他の子どもや保護者の声】

〇「大丈夫じゃないけど、『大丈夫』って言う」6年男子(11月上旬)

・自宅が全壊してしまった男子の日記

11月5日(火) 今日、ひさしぶりに、野球の練習に行きました。野球のみんなが心配していたので、自分たちのチームで練習するので行きました。
野球のみんなが『大丈夫』って聞かれるので、『大丈夫だよ』って言いました。そんなに心配をさせないために、大丈夫じゃないけど『大丈夫』って言って、『よかった』と言ってくれたのでよかったです。これからもがんばっていきたいです。

 担任がその子どもと保護者にも「少しでも困ったなと思うことがあったら相談してください」と、こまめに声をかけ励まし続けました。

〇「もう他のことなんか考えられない」と泣き出す保護者(11月上旬)

 本校のPTA活動に積極的に取り組んでいた役員のAさん。活動自宅が全壊してしまい、学区外の親戚宅に避難し、毎日子どもを送り迎えしてくださっていました。

 この日のPTA役員会は、災害で中止となったPTA資源回収の実施とその収益をどうするかについてでした。実施方法について話し合っていたところ、Aさんが突然

「いいことだと思うけど、今はそれどころじゃない。もう他のことなんか考えられない」

と大声で泣き出してしまいました。周りの役員の方々もかける言葉も見つからず、ただAさんの肩をさするばかりでした。

6 おわりに

 翌年の3月卒業式の後、避難所の体育館で約2ヶ月生活していた卒業生の保護者が、私のところにやってきて、こう話しました。

「避難所ではお世話になりました。おかげで、無事卒業することができました。先生たちのやってくださったことは、正解かどうかはわからないけど、間違いはひとつもありませんでした。子どもも親も本当に守ってもらえました。ありがとうございました。」

胸がいっぱいになりました。

 その年の4月に入学した1年生のなかに、雨が降るとどこか落ち着かなくなる男の子がいました。その男の子といろいろな話をしているうちに台風19号災害の時の話になり、

「ぼくのアパートの下のところまで水浸しになったんだよ。こわかったよ」

と話してくれました。この男の子の保育園は、天井の近くまで2.5m浸水してしまったため、卒園直前まで他の保育園や神社、公会堂で保育園の生活をしていました。

 家庭や学校がいつも通りの生活になっても

「雨が降ると、胸がざわざわする」

などと、子どもがふとこぼす言葉や表情に、その子どもが抱えているつらさや悲しさを垣間見るときがありました。そんなとき、担任はできるだけその子どもの話をゆっくりと聴いたり、必要に応じてスクールカウンセラーにつなげたりしながら、少しでもその子どもが安心するようにしてきました。

 実際に学校のある地域が被災し、学校が避難所となった経験から、安全で安心な学校づくりと、子どもたちが自然災害などの危険から自分のいのちを守る力を身につける防災教育の充実が必要だと痛感しました。それらに加えて、災害でこころに傷を負った子どものケアも欠かせません。教職員はもちろん子どもと関わる大人は、災害時の子どもの心のケアについて学び、いざというときに何らかの手助けができるようになればと思います。